1/30(日) 6:12配信
文春オンライン
『ドカベン』『あぶさん』『野球狂の詩』など数々の野球漫画を送り出した水島新司氏が、1月10日、肺炎で亡くなった。享年82。
夢を断念したときの思いが、野球漫画創作へのバネに
新潟の実家に住む妹は、「私もショックを受けています。本当に優しい兄でした」と言葉少なに語る。
『ドカベン』は1972年に連載開始。シリーズは46年続き、単行本は累計205巻。「スポ根」一辺倒から脱却し、主人公の山田太郎をはじめ、岩鬼正美ら個性豊かなキャラクターが試合毎に脚光を浴びる新たな野球漫画を開拓した。
39年に新潟で生まれた水島氏は三男三女の次男。家業の魚屋を手伝いながら漫画を描き始めた。
「中学時代は家業が多忙で、年3日しか通学できなかったそうです。地元の野球強豪校、新潟明訓高校への進学が夢だったが断念。『ドカベン』の舞台は“明訓高校”ですが、この時の思いが野球漫画創作へのバネとなった」(出版関係者)
『ドカベン』『あぶさん』の累計発行部数は合わせて7000万部超え
貸本漫画家時代を経て、70年代に入り野球を題材にするや一躍売れっ子に。
「70年代から2億円以上の収入があり、長者番付の常連。東京都内の自宅兼仕事場の敷地面積は約470坪で、土地建物合わせて少なくとも13億円ほどの価値があるといわれる。朝5時から夜6時まで執筆活動を行い、そのあと野球観戦する生活を送っていました」(スポーツ紙記者)
『ドカベン』『あぶさん』の累計発行部数は合わせて7000万部を超える。単純に見積もると印税だけで30億円を突破する。
私生活も野球漬け、草野球チームを複数持っていた
球場にも熱心に足を運んだ。特に、あぶさんが所属する設定のホークスでは、ロッカーも“顔パス”だったという。『あぶさん』に描かれたこともある野球評論家の江本孟紀氏が語る。
「特徴ある選手ということで純粋に興味を持たれたのか、野村克也さんをジッと眺めておられました。81年、私の『ベンチがアホやから』の騒動の時には、先生のサイン入りグラブを『アホ』いうてスタンドに投げ入れてしまったんだけど、その時のことを謝りたい」
私生活も野球漬け。草野球チームを複数持っていた。20年ほど前に共にプレーした野球仲間が明*。
「年80試合をこなし、スローイングは“ミスター”を髣髴とさせた。お酒は飲みませんでしたが、飲み会では同席のパンチョ伊東さん(元パ・リーグ広報部長)をイジって場を和ませていた」
ライバルチームに初勝利した際は「勝ったぞー!」と飛び跳ね、少年のように大喜びしたという。
社会人野球を舞台にした漫画を検討していたが…
2020年末に漫画家引退を表明。漫画家仲間の里中満智子氏は言う。
「仲間同士で『気持ちが変わって、また復帰してくれたら嬉しいね』と話していました。水島先生は、野球は各々が役割をしっかり果たすことで絆が生まれ、それが勝利を生むということを表現しました。野球を楽しむ少年たちにも大きな影響があったと思います」
実は水島氏は、ある構想を練りながら“現役続行”も模索していたという。
「『ドカベン』は高校野球、『あぶさん』はプロ野球を舞台にしていましたが、今度は社会人野球を舞台にした漫画を検討していたんです。が、その作品は残念ながら世に出ることはなかった」(元担当編集者)
野球狂一代男の描いた物語は、個性的な登場人物たちとともに生き続ける。
(出典 newsatcl-pctr.c.yimg.jp)
https://news.yahoo.co.jp/articles/1b749b1ec2243d62a02379620e9919cfd8754ee8
>>1
パンチョ伊東をいじって
みんながイジリの内容わかってるけど、にやにやしつつ記事に書かないという配慮
>>1
ベースボールの形だよ
自宅
すげえデカイ
ドガベン
これのせいでデブにはとりあえずキャッチャーやらせとけみたいな暗黙のいじめが続いてんだよな
>>3
生きていて楽しい?
なんか嫌な事あったの?
>>4
ちゃんと聞いてあげる気もないのにw
もしかして期目台詞のつもり?
>>7
辛かったんだね
こういうところでも発散出来る場所があって良かったね
>>3
伴宙太の段階で、すでにデブはキャッチャー
ちゃんと調べればそれ以前の野球漫画でも見つかると思う
>>3
だとしたら、土井垣、微笑もデブでないとおかしいし、
他校キャッチャーはどうよ?ってことになる。
>>3
明訓に入学した時に土井垣に一昔前のキャッチャーだなと言われてる
ドカ便
亡くなった週に中央競馬でキュウドウクンて馬が勝ち上がってたな
>>6
競馬はヤオ
>>23
水島新司が亡くなったからという理由でその馬を勝たせる意味がわからん。
生前御大がその馬に入れ込んでいたのか?
俺にも才能あって30億稼げるのわかってても俺が同じくらい働けるとは思えんからヤッパリこういうところが成功者なんやろな
パンチョ伊東さんをイジって場を和ませていた(意味深)
球蹴り題材にしても売れないよな
やっぱり日本は野球の国
社会人野球の話も描いてほしかったけど、俺には野球狂の詩があるから当分それで慰めるわ
ドカベンってどういう意味?
>>13
昔は大きい弁当箱を「ドカベン」って言ってたんだよ。
山田太郎の弁当箱が大きいからドカベン
>>14
>>17
なるほどね。ありがとう。
>>21
アルマイトの弁当箱にお米をぎゅうぎゅうに詰め込んで、おかずは隅っこにほんのすこしだけ。
それが昭和のブルーカラーの昼食スタイル。
>>13
土方の弁当。略してドカベン
>>17
それじゃヒジベンじゃね?
印税は50億円超えてるでしょ
何人ものアシスタントを数十年雇用
ビートたけし氏に一緒に南海買わないか、40億円を折半でと言った
>仲間同士で『気持ちが変わって、また復帰してくれたら嬉しいね』と話していました。
最後の一年は恍惚の人だろ。立って歩くこともできず、シモの世話を受けていたのだろう。
昔、ヤフオクで水島プロにカセットテープを落札してもらった事がある。
所謂シティポップ系のやつでなんでまたこれを自分から?と思った記憶があるなあ…
まだ過去の落札物が誰でも見れた頃で、昭和に関する物を集めてたっぽいんだけど。
>>20
10年以上前から水島プロ名義でヤフオクに出品された水島初期作品が
高値で落札されていました。何人かととガンガン競ってたので
とんでもない額になってて自分も何度か水島プロと取引しました。
不思議なのが水島プロじゃないのと取引しても必ず三鷹近辺の人だった
から知り合い同士で競り合いしてるぽくて水島プロ名義じゃない方に
水島プロの関係者ですかと聞いても無視だった。水島作品の相場を
釣りあげようとしてたのかな?
どんなに早い球投げてもミットに入るまで1週間かかるんだよな
>>22
それアストロ球団の話だぜ
一巻の表紙見たら全員柔道着だったんだけど、
最初から野球漫画描くつもりだったの?
>>24
野球漫画は描きたかったが他誌との関係でNGくらった
伏線だけ貼っておいてそっちが終わると同時に野球漫画にシフトした
水島新司の謎
謎1 野球漫画を読み始めたらいつのまにか相撲漫画になっていたでござる
謎2 一番盛り上がる甲子園の決勝がライバル関係も絡みもない全くの無名校だったでござる
謎3 一時期使いまくってた芦川誠ってキャラ名の元ネタだれ?
>>28
2番目は代行支援のヤツか?準決勝にページを使いすぎて、無名校で
あっさりとした勝負にせざるを得なかったんじゃね?
その前の春の甲子園(ドカベン末期)は更に酷く、準決勝と決勝を1話に
収めている。
おぼつちやま安泰だな
実家魚屋だったのか
野球狂の詩の富樫とか投影されてるな
ドカベンって31巻の犬神の土佐丸戦がハイライトだよな
あとはなんとなく下り坂
>>33
もう、お前みたいなのうんざりだから
>>33
うむ 強いところは他にもあったが、やはり明訓最大のライバルは土佐丸
印税ってコミックだけでしよ、実際は連載の原稿料、原作の映画化、
アニメ化、キャラクターの使用料もあるだろうからもっと稼いでだだろうな。
昔でいう散髪屋とかに必ずあったわ
たけし軍団のドラ息子は何してんの
記念館くらい作れよ
この作者ンが描けないけど視覚障害あるのかな?
>>40
お前はどういう障害でそんな文を書いているんだ?
電子版解禁するよな亡くなったんで
>>41
新太郎次第だろうね
小学生の頃野球帽のツバを切って不知火ってやるけど漫画と違ってカッコ悪くて後悔する。
岩木はなんでいつも葉っぱくわえてるの?
>>47
36巻で合宿での毒味時、唯一葉っぱを
くわえていなかった
水島新司先生を語るうえでデビューの大恩人である 故 佐藤まさあき先生の名前が一切出て来ないのが納得いかない
階級闘争の代わりにやきうしようというのはそれはそれで一つの結論だろうから最後までプロレタリア作家として殉じたんちゃうか
ただ昨今ではそうした代替行動としてのスポーツの意義も社会的に否定されつつあるイメージやな
スラムダンクのスラムって何なのかいちいち気に止める奴もおれへんやろうし
保土ヶ谷球場最強ブタッピ
昔の爆笑問題太田がやってた四コマ笑った記憶ある
そういや水島先生の場合「男どアホウ甲子園」のときにすでにキャッチャーは豆タンだった
あれは有名脚本家の原作モノではあったが
ついでに気づいたが豆タンって言葉もすでに死語だな
ドカベン社会人野球編読みたかったな
山田太郎が信濃グランセローズに落ちぶれる悲哀という晩節
>>54
それは社会人野球じゃなくて独立リーグ
相続は揉めるんだろうか
記念館は作るんだろうか
昼ドラにもなった花登筺の『銭っ子』にも触れろや!
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